日記・コラム・つぶやき

懐旧

春風一度吹 しゅんぷうひとたびふけば

百花離其枝 ひゃかそのえだをはなる

雖吾人似花 ごじんはなににたりといえども

有洋々前途 ようようたるぜんとあり

今離三丘舎 いまさんきゅうしゃをはなれ

舞無限大空 むげんのおおおぞらにまう

決其前途者 そのぜんとをけっするものは

在各人志耳 かくじんのこころざしにあり   

 昔々、昭和二十六年に卒業をした大阪府立三国丘高校の卒業記念文集の中に、十八歳の自分が作った漢詩を見つけました。つたないが、未知なる未来への希望を詠んでいます。その時から五十有余年少年の志は果して達せられたのでしょうか。精一杯の努力を尽くしたつもりなので、自分では悔いはありませんが、自分がこの世に生を受けた傷跡を残すことが出来たのか忸怩たるものがあります。

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時間

 音もなく流れ行く大河の如く時は過ぎ行く。時の始まりは何時なのか解らず、誰も時の終わりを知らない。実の時はこの瞬間だけで、過ぎ去った過去も、やって来る未来もすべて虚の時である。過ぎ去った虚の時は凍り付いていて、もはや解かすことはできない。未来の虚の時も如何に思いを巡らしていても、その時に遭遇できるという保証はない。生ある証しである実の時を意義あるものとして、楽しく生きることが大切なのだ

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新しい街との出会い

暫く前に五十有余年住み慣れた堺から茨木に仮寓を移しました。住いは八階ですので北には北摂の山並みが目前に南には遠く生駒山が眺望されます。この地にも興味を引かれる処が多々在りその幾つかを訪ねました。継体天皇陵といわれる太田茶臼山古墳がすぐ近くにあります。継体天皇は二十五代武烈天皇に男子の後継がなかったため十六代応神天皇の五世の孫に当たる大王が福井県から迎えられて皇統を守ったとされている異色の天皇です。北の阿武山の中腹にひと際目立つ古めかしい塔屋を持つ京大の地震観測所が遠望されます。新幹線や名神高速などの交通網が建設され新興住宅も周辺に迫った今も観測はなされているのでしょうか。摂津耶馬渓もごく近くにあり大学生の頃友人とキャンプをした懐かしい場所です。今でもリゾート地としてそれなりに賑わっているようですが飯盒炊飯は無理でしょう。北摂の山を越えるとすぐに京都府亀岡市です。

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想い出の公主嶺

 太陽が地平線から上り地平線に沈む今は亡き満洲の南部に位置する公主嶺の街で少年期の十年を過しました。公主嶺の名は昔王女が降嫁の途中この地で亡くなったことに由来すると聞いています。街の中央を南満州鉄道が貫き伝説のアジア号が駆け抜けて、屋上に守護神の龍を戴いた駅舎は古い歴史の面影を伝えていました。街のたたずまいは帝政ロシア時代に造られたもので、部屋の隅のペチカは冬の間部屋をやわらかく暖めてくれました。気温が低く空気が乾燥しているので雪だるまも雪合戦もできないほど雪はサラサラでした。流れているとは見えない黄土色の郊外のクリークの水面に土手の柳が映えた美しい風景を思い出します。共に遊んだ幼な友達もだんだんと彼岸へと去り、いつの日かあの曠野に共に帰れるでしょう。私の心は遠く離れた六十年前の懐かしい街をときに彷徨っています。

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私の8月15日

  小学校6の時から父母の元を離れて祖父母の家に寄宿し、朝鮮の釜山中学校に通っていましたが、米軍の空襲に見舞われる危険性が高くなったため、中学校2年生の一学期が終了した機会に満州に戻り新京中学校に転校しました。家族が住んでいた公主嶺から新京まで通学するのに鉄道で1時間強掛かるので、新京の叔父の家に寄宿することになりました。通学を始めて1週間程経った時に突然にソ連の満州への侵攻が始まり、それまで戦争に直接的な関与の無かった満州全土は大混乱に陥りました。

  関東軍が真っ先に撤退を始め民間の日本人は無防備のまま満州に取り残されました。父が急遽私を迎えに来てくれたのですが鉄道は軍隊の退却のため徴用されており、公主嶺に戻ることができません。公主嶺には祖父と母と幼い妹3人と乳飲み子であった弟が残されており、父としてはどうしても家族のところに戻らねばならないので歩いて帰ろうと言うことになり、早朝に新京を出発して夕方道程の半分ほどの氾家屯にたどり着きました。そこに父の勤務していた農事試験場の支所がありその晩はそこに泊まりました。翌日、氾家屯駅に停車した貨物列車に幸運にも便乗させてもらうことができ1時間ほどで家に帰り着きました。その前日に南下命令が出て母は子供を連れ駅に言ったのですが背負っていた弟の靴を忘れたのに気が付き取りに戻っている間に列車が出発して、妹達3人が駅にぽつんと取り残されていたとのことです。忘れた靴のお陰で一家が離散せずにすみ幸いでした。また、その列車は終戦の日に丁度北朝鮮に入っていたので乗客にかなりの犠牲者が出たということを後日聞き人の運命の不思議さを実感しました。

  暫くして残りの日本人も南に避難させるということになり8月15日の朝、駅に行き無蓋貨車に乗り込みました。祖父はもう歳なので足手纏いになるといけないから此処に残ると言い、また、父は民間防衛隊の一員として止まることなり、結局母と子供5人が逃げることになりました。朝から列車に乗り込み待っていましたが一向に出発しません。そのうち昼頃に重大発表があるかということが伝達され、昼過ぎに戦争は終わったらしいという話が伝わって、皆はぞろぞろ列車を降りて家に帰り始めました。私にとってははっきり認識することなくうやむやのうちに戦争は終わってしまいました。

  しかし、在満日本人の辛苦はその時から始まったのです。敗戦から何日かの後、進駐してきた軍規の乱れたソ連兵による数多くの暴挙によって何人かの方が命を失いました。また、満人の略奪によって日本人は全財産を失いその後辛い生活を強いられました。ソ連軍撤退の後の共産党八路軍と蒋介石軍との2度にわたる市街戦をくぐり抜けて2年のちに一家揃って引き揚げました。祖父だけは残念ながら終戦の年の冬に亡くなり満州の地にいまなお眠っております。

私の七十有余年の生涯において価値観が覆させられたことが2度ありました。一つは満州で体験した60年前の大日本帝国の敗戦であり、一つは10年程前のマルクス・レ-ニン主義を標榜していた国々の崩壊です。自然現象は「真実は常に真実」ですが、人間の言葉には異なった価値観が隠されているということを教えてくれた出来事でした。この教訓から最近声高な人為的地球温暖化も100%信頼していいのかなという気がします。

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鉱石がなぜ光る

1.光について

 光は波である。どんな波かというとラジオとかテレビに用いられている電波と同じ電気的な波である。光は電波であるが波の長さが極めて短い。ラジオの波は数百メ-トル、テレビの波が1メ-トル位であるのに対し光の波の長さは1000分の1ミリ程度である。1ミリの1000分の1は10-6mで1μm(マイクロメ-タ)という単位で測る。

 人間の目に見える光の波長は0.38μmから0.78μmである。この可視光の上下に赤外線と紫外線が広がっており人間に限らず地球上の生物が反応する電波の波長はこの領域にある。それは太陽から放射されている電波(通常光と言っている)の強度が最も強い波長の領域である。生命が地球上に誕生して以来太陽の恩恵のもとで進化してきたことによって太陽光に合わせて光感応器官(人間では視覚)が発達してきたことに他ならない。

人間は光の波長を色として認識することができ紫(0.38~0.43)青(0.43~0.49)緑(0.49~0.55)黄(0.55~0.59)橙(0.59~0.64)赤(0.64~0.78)がある。括弧の中の数字は波長で単位はμmである。全ての波長を含んだ光は白色となりいろいろな波長の光をもった風景は天然色となる。

 人工的に3つの光を適当に混合することによってすべての色を作ることができる。3つの光は3原色よばれ各原色の波長は0.457μm()0.528μm()0.630μm()である。したがってこの3つ波長の発光ダイオード(英語のスペルの頭文字を並べてLEDという)ができれば混合によって望みの色がえられる。

2.光の粒子性

 光は上で述べたように電波という波動であり、光の干渉、回折といった光の基本的な性質は光が波動と考えることによって説明できる。光は19世紀末まで波動として取り扱われてきたが20世紀に入ると波動では説明できない光電効果(金属に光を当てると電子が放出される現象)が見出され新しい解釈が必要になった。アインシュタインは1905年光は粒子の性質をもっているという光粒子説を提案した。アインシュタインは後年(1921)この業績によりノーベル賞を授けられている。波動と粒子という二つの性質を持っているということは常識的には相矛盾するが実際に生じている事象を説明するためにはこの考えを認容せざるをえない。その後、粒子と考えられている電子も波動性を持つことが明らかとなり今では原子のような極微(10-10m)の世界では波動と粒子の二面性は物理学では常識として受け入れられている。

 アインシュタインは振動数νの光はhνのエネルギーを持つエネルギー粒子となることを示した。hは1901年にプランクによって定められた自然界の定数の一つでプランク定数という。波長λと振動数νを掛けたものは光の速さcとなり、ν=c/λであるのでこれをhνの式に入れ現在分かっているプランク定数と光速を与えて計算しやすい式に書き直すとhν=1.24/λとなる。光の波長λは1mmの千分の一のμmで測りエネルギーはeV(エレクトロンボルト)であらわす。eVは原子の大きさの世界のエネルギーの単位で人間の大きさの世界で用いられる単位の1019の1の大きさであり極めて小さい。

 この式を用いて各色のエネルギーを計算してみると紫(3.1eV)青(2.7eV)緑(2.4eV)黄(2.2eV)橙(2.0eV)赤(1.8eV)となる。

3.電子と光のエネルギーの交換

 電子がエネルギーを失うと失ったエネルギーは光粒子のエネルギーとなりそのエネルギー値に対応した色の光を出す。発光ダイオードはpn接合という巧みな構造により多量の電子を生成することができる。電子はエネルギーを失って消滅するが失うエネルギーは使われている材料によって変わるので材料を選べば希望する色を発光させることができる。たとえば電子が2.4eV失うような材料を用いれば緑色の光を出すLEDを作れる。発光ダイオード(LED)に用いられる材料は金属でなく半導体と呼ばれる鉱物(もちろん人工的に精錬されているが)である。代表的なものとしてダイヤモンドがある。実際問題としてダイヤモンドでは出てくる光が紫外線になるのでLEDとしては役に立たない。実際に使われている材料をあげると「砒化ガリウム(GaAs)」「燐化ガリウム(GaP)」「窒化ガリウム(GaN)」などでこれらをうまく組み合わせて電子の失うエネルギーを変えて希望する色を発光させている。今では近赤外、赤、橙、黄、緑、青、紫、近紫外の各色LEDが市販されている。

4.白色LED

 LEDは豆球に代わる表示灯として開発されたものである。長寿命、低消費電力、多色調、高輝度、小形軽量、安価などの特長をもっている。現在では種々の色のLEDがありタングステン球を駆逐してしまった。白色LEDも作られているがこれには2種類あり一つは三原色のLEDを用いて光を混合して白色光としているものである。他の方式は紫外LEDの光を蛍光剤にあてて白色光を発生させているものである。これらの白色LEDは表示灯だけでなく液晶のバックライト用にも用いられている。

 紫外線励起のLEDの方式の延長上に今盛んに開発がすすめられている照明用LEDがある昨年シャープは3.6Wながら20Wのハロゲンランプに相当する明るさの照明用白色LEDの市販を始めた。現在ではいささか高価であるが消費電力はハロゲンの5分の1という省電力型で寿命は20倍となるので省エネが叫ばれている時代に適した光源であるといえる。また、演色性に優れているのでショウインドウ用など今後の発展が期待できる照明である。

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流星に当たる確率

古よりめったに起こらないことを流星に当たるようなことという。

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ブログ事始め

今日からプログを始めることとなった。つれずれなるままに思うことを記していこう。

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